親になるという事

 「昨日、子供が生まれた。 - 琥珀色の戯言」を読んで、自分が親になった日の事を思い出した。

 私の場合は15歳からつきあい始めた相手と、1年間の別離を挟んで24歳の時に結婚した。
 1年くらいはのんびり新婚生活を楽しむつもりだったのだが、結婚から2ヶ月で妻が妊娠。「子供がいてもいいな」と思っていたところだから「予想外」ということはなかったが、「え、もう?」という気がしなかったと言えば嘘になる。

 その時生まれた息子は、先日早くも5歳になった。今ではもうすぐ2歳になる娘もいるし、来年3月にはもう1人生まれる予定だ。
 今ではもう日常の中に子供がいるのが当たり前で、日々子供が言う事を聞かない事に頭を悩ませているのだが、久しぶりに「そう、生まれて来た時はこんな気持ちだったなぁ」という気分になれた。

ものすごく自分勝手な考えだけれども、僕は「子供を育てること」そのものよりも、「子供と一緒に過ごすことによって、自分の人生をもう一度体験できること」が、けっこう楽しみになってきた。

もちろん、「子供ができたら、子供のための人生」になってしまうような不安は、いまでもある。

でも、「子供がいること」を「自分の人生」が満たされないことの言い訳にしたくはない。

 うん、全くもってそうだと思う。
 自分がこの子の年の時はどうだったかな、と思うと「ああ、あの時父親はこんな事を思っていたのか」と振り返る事ができてとても不思議な気分になる。
 子供がいて、かつ人生が満たされるのはなかなか大変(どうしても育児に足を引っ張られるような気がしてしまう)だと実感しているところだが、子供のためにも、そして自分のためにも言い訳にはしたくないと思う。

子供を育てるために、失うものはたくさんあるだろう。

でも、僕自身が「得られるもの」もたくさんあるはずだ。

 これも本当にその通り。
 たしかにいろいろ失った。保育園のお迎えとか夕食の用意とかがある(主夫なので)から、夜に人と会うのは至難の業だ。(妻の帰宅は20時前後)
 でも、だからといって自分の人生が惨めになった訳ではないし、子供の感性を日々身近で感じられる事は時に大きな活力になり、時に大きな発想の転換をさせてくれる。器の小さい事を言えば、まだ子供のいない人に対して「自分は相手が経験した事のない経験をしているんだ」と優越感に浸る事だってできる。(そんな事をいちいち思わないとやっていけないような人間関係はないけど。それに、逆の立場に立てば「おまえが子育てに追われている間に、おれは好きな事ができるんだ」と優越感を感じられる訳で、その優越感には根拠も意味もないだろう。じゃあ書くなって話だ。ごめん)

僕は子供の顔をみながら、正直、ちょっとだけ嫉妬した。

お前はたぶん、僕が見ることのできない「未来」を体験することができて、「お父さんにもこれを見せてやりたかったなあ」なんて、いつか言うのだろうな、って。

 この最後の一文を読んで、先日リニアが直進コースで建設される事がほぼ固まった話を思い出した。
 あのニュースを耳にした時に私が考えたのは、開通する時に自分が何歳かという事。そして自分はそう何度もは乗らないのではないかという事。少なくとも自分の中で「リニアがあるのが当たり前」になるには10年前後かかるだろうから、その頃にはもう還暦近くなってしまう。
 でも子供にとってはそれはちょうど社会に出て結婚するような頃。まだまだ乗る機会も山ほど有るだろう。

 こんな事を考えるなんて年を取ったなぁ、と思うのだが、それでもやはり「若さ」というものは何にもまして輝いて思える。
 初めてのゲーム機がWiiだったりNintendo DSだったりする息子にとって、0系新幹線はきっと過去の遺物なのだろう。私にとってのWiiNintendo DSのような感覚でリニアを感じるのだろう。
 昔を身をもって知っている事に誇りを感じはするものの、それがやはりうらやましいのだ。


 id:fujiponさんとご家族の未来が輝かしいものでありますように。